イスラエルに入国してから2日目の朝です。
今日は朝からエルサレムを離れ、パレスチナ自治区のベツレヘムに行くつもりです。距離的にはエルサレムから南に約10キロとさほど離れていないのですが、検問所もあるのでバスで40分ほどかかってしまいました。
といっても検問所もそれほど厳しいものではなく、欧米人と同じように簡単なパスポートのチェックで通過できました。どちらかと言うとエルサレムでの渋滞が大きかったですね。
それはともかくこのベツレヘム、現在はパレスチナ自治区にあるということもありイスラム教徒が多数派ですが、イエス・キリスト生誕の地としてキリスト教徒も相当数居住しているようです。またダヴィデの町とも呼ばれているのでユダヤ教徒にとっても重要な場所であるので、ここもまた複雑な事情があるのですが、観光客のほとんどはキリスト教徒の聖地としてのベツレヘムを訪れているように思えました。
朝の時点ですでに多くの欧米人の観光客が訪れていました。ツアー客の多くがまずはイエスの生誕教会を訪れているようだったので、わたしは先に生誕教会のすぐ近くにあるミルク・グロットを訪れることにしました。
この聖なる洞窟のある教会は小さいですが聖家族がエジプトに逃れる前に隠れていたとされており、聖母マリアの母乳が滴り落ちた際に岩が白く染まったという伝説があるところです。
それから時間を見計らって訪れたものの、やはり混雑していた生誕教会を訪問。
厳かというよりは観光客が多すぎてヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂のような雰囲気でしたが敬虔な巡礼者も少なからずいて、あらためてキリスト教徒にとって神聖視されている場所であることを再確認しました。
生誕教会を出たあとはこの街の他の観光スポットであるダヴィデの井戸や、聖母マリアの夫でありイエスの父である聖ヨセフの家も見に行きました。
しかしそれ以上に印象に残ったのは街を歩いていると見かける普通のパレスチナの人たち。エルサレムでもイスラム教徒の人は多いですが、パレスチナ自治区の複雑さが感じられました。もちろん今回の旅行で危険な地域に行くつもりはありませんが、観光地として有名なこの街でも共存が易しいものではないようです。平和的解決は難しいのかもしれませんが、イスラエルとパレスチナ、お互いにとってより良い関係が訪れることを願うばかりです。
さてパレスチナ自治区はイスラエルに比べると若干物価が安いとのことでここで軽く食事を済ませ、エルサレムに戻ったのはお昼すぎ。帰りの検問のほうがやや厳しいとのことでしたが、無事イスラエルに再入国することができました。
エルサレムに戻ったわたしは毎週金曜日に行われているというヴィア・ドロローサの行進を見に行くことにしました。
ヴィア・ドロローサとはラテン語で苦難の道という意味で、総督のピラトより十字架の刑を宣告され、それからゴルゴタの丘(現在の聖墳墓教会)に至る道です。フランシスコ修道会の修道士によって先導され多くの巡礼者と観光客も付き従っての行進が行われます。
始発点から終点まで合計14の留(りゅう)があるのですが、これらの各留はイエスが十字架に処されるまでにあった出来事によるもので、イエスが倒れた場所やベロニカがイエスの顔を拭いた場所など各留において祈祷が捧げられます。
細い路地ですが、巡礼者、観光客、地元の人と溢れんばかりの人たちで埋まってしまっています。第10留以降は聖墳墓教会内部になるのですが、最後の第14留がイエスの墓としてヴィア・ドロローサの終着点とされています。しかしイエスはその3日後に復活したことからこの場所を第14留であるとともに復活の場所として第15留とする考え方もあるようです。
わたし自身キリスト教徒ではありませんが、この行進に参加することで2000年にわたり迫害の歴史を乗り越えながらも信仰を得ているイエス・キリストの通った道をともに歩くことができて良かったと思っています。
午前中にイエスの生誕の地を訪れ、午後にヴィア・ドロローサを歩くという、今日はほぼキリスト教的な一日になりましたが、明日はキリスト教とユダヤ教のどちらにもゆかりのあるところを訪れる予定です。
無宗教のわたしですら魅了するイスラエルという国の遺産は計り知れないものがありますね。