4時半くらいに眠りについて約4時間後の8時半ごろ目を覚まし、朝食を食べさせてもらいました。
今まで食べたことのないような朝食でしたが、とりあえずお腹は満たされました。味も食べ慣れていなかっただけで不味くなかったですよ。これは本当です笑
紹介が遅れましたが、今回エルサレムで宿泊した宿は Chain Gate Hostel というところです。
イスラエルは物価がかなり高めなため、できるだけ節約したいと思いとりあえず安いところということでここに決めたのですが、宿のおにいさんたちはすごく親切だし、これは当たりでしたね。
名前の通り、チェイン・ゲートのすぐそばにあり、岩のドームからわずか50メートルというロケーションです。
しかしながらこのチェイン・ゲート、イスラム教徒以外は入場が出来ないんですよね。岩のドーム側から出てくることは可能なのですが。これはまあ仕方のないことなのでどうしようもないのですが、物価の高いイスラエルで朝食がついて60シュケル(約2000円)というのはかなりコスパが高いと思います。実際まだオープンしたばかりの宿だったらしくプロモ料金だったようで運が良かったですね。Booking.comに感謝です。
とりあえず朝食の後、いろいろ情報を教えてもらい、二度寝が必要なほどは疲れていなかったので、早速観光に出かけることにしました。
一応エルサレムには1週間ほど滞在する予定ではあるのですが、一大観光地であるエルサレムでは近郊の町も含めると何日あっても観光する時間が足りません。快晴というわけではありませんが、天気も悪くはないですし、またイスラエルに来るのはだいぶ先になりそうだったのでとにかく今回見られるだけ見てみようと思い、街に出てみることにしました。
先述の通り、チェイン・ゲートからは岩のドームには入れなかったので、とりあえず南側から回りこんでアクセスしてみようと思い、ついでにエルサレムの旧市街を囲む城壁にある8つの門のうちのひとつ、糞門を見てみることにしました。
糞門という名前はひどい名前だと思いますが、城内の汚物やゴミなどをこの門から出していたのが由来ですが、今はもちろんそんな不潔なかんじは一切なく、むしろ多くの人達で溢れかえっています。観光客も多いですが、巡礼者もまた多く、沢山の人達で溢れかえっています。
そこから少し北上して、すでに午前の開館時間を終えた岩のドームのある神殿の丘を横目に、嘆きの壁まできました。
この嘆きの壁は・・・今までエルサレムの写真や映像などで何度か目にする機会はありましたが、実際に目の当たりにしてみると、なんともいえない感情が湧き上がってきました。
私は無信仰者の日本人ですが、多くのユダヤ人たちが祈りを捧げている姿はそんな私にも強く心を打ちました。
いままでヨーロッパのいくつかの街でシナゴーグなどを見学したこともありましたが、ほとんど接点のなかったユダヤ人…。
アウシュヴィッツ収容所やアムステルダムのアンネ・フランクの家、リトアニアの杉原千畝記念館なども訪れたことはあったものの、現代ではパレスチナ問題などもあり、ほとんど知識のないまま正直あまりよい印象を持っていなかったのですが、今日の光景を見て、自分の勝手な先入観などが恥ずかしくなりました。
彼らは長い間この壁に一年に一日しか立ち入りが許されていませんでした。そして1948年から1967年まではこの壁に近づくことすら許されない期間もありました。
イスラエルという国に来てからまだ数時間しか経っていませんが、この国にいる間いろいろなことを考えさせられそうです。
その一方で写真撮影をしている外国人旅行者たち・・・。わたしも一緒になって撮ってしまいましたが、この嘆きの壁だけでなく、この後に訪れたキリスト教の聖地でも積極果敢な姿勢を見せられてしまい、圧倒されてしまうと同時に厳粛なキリスト教徒だけではないんだなと思い知らされた気がします。信仰心が強いから撮影しないというわけでもないのですが、それでも少し動揺してしまいました。
そんなことを考えながら、嘆きの壁の後に訪れていた聖母マリアの生誕地とされる聖アンナ教会をあとにし、街の東にあるオリーブ山の周辺に向かいました。
この辺りは旧約聖書に関連するものもありますが、それ以上に新約聖書にその名を留める場所が多いの、よりキリスト教徒にとっての聖地といえるところです。
重要な教会も多く、さきほどの嘆きの壁とはまったく異なった、しかしながらおごそかな神聖さは伝わってきました。
このゲッセマネの園もあまり聖書に詳しくないわたしでも聞いたことのある有名な場所です。実際に訪れてみるとやはり感慨深いものがありますね。
それからまたしばらくオリーブ山周辺を観光して、オリーブ山で日が暮れるまで過ごしました。
あまり治安が良くないとも言われていましたが、運良く何事も起こらずオリーブ山からの市内の夜景を見てから下山しました。
とりあえず今日は睡眠不足だけでなく非常にいろいろなことを考えさせられた一日であったため、心も体もゆっくり休ませたいと思い、早めにベッドに入りました。